自治体職員が書く“子育て支援・教育行政”

行政窓口で待機児童の家庭のお話をうかがったり、制度設計に奔走している者にしかわからないところを伝えたい、という思いで書いています。子どもの幸せ・親の幸せに幼児教育・保育制度はどう寄与していけるのか、一つひとつ制度を深掘りしていきます。

「保育の保障」と「幼児教育の保障」

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 だいぶ前になりますが、国の少子化対策について以下の記事がありました。

 共働き家庭が急速に増加する中、幼稚園の預かり保育が普及し、保育所との役割の差は小さくなっている保育所でも小学校入学前に必要な非認知能力など幼児教育の重要性が高まっている。

(中略)

 現行の認可保育所の大きな問題点は家庭での保育を原則とし、欠ける場合に保育所が補完する「児童福祉法」に基づいていることにある。女性が本格的に働くことが当たり前の社会では、保育所は公共性の高い「保育サービス」に転換されなければならない。

(出典元:日本経済新聞電子版 2022/1/5 2:00 朝刊)

 今日は、この論調から教育・保育制度をみていきたいと思います。

1.「保育所はもはや福祉ではない」のか

 世間では保育園と言われる園の方が多いですが、それら保育園も保育所も、法律上は「保育所」であり、同じルールに基づくものです。

 すでに7~8年ほど前のことになりますが、保育所の保育料のルールについて、市会議員の先生に説明にうかがう機会がありました。

 その時、保育料について応能負担(払える能力に応じて(=応能)、保育料が変わる制度であること)などを説明していた際に、ご意見をいただいたのが保育所はもはや福祉ではない。社会保障制度だ。それに見合った制度にすべきだ」ということでした。

2.社会保障としての保育所

 たしかに、保育所制度は子育て家庭の社会保障の一翼を担っています。

 平成24年2月に閣議決定された「社会保障・税一体改革大綱」によって、今の「子ども・子育て支援新制度」の制度化が現実味を帯びました。

 これは、消費税増税を柱とする税制抜本改革を行うとともに、そのお金の一部を「子育て」の分野にあてるための改革だったわけで、「年金・医療・介護」に加え、「子育て」も社会保障の一つとして、恒久的な財源で保障されるようになったスタートでした。

 実際に、保育所などでの保育の推進は、児童福祉というよりも、子育て家庭の支援としての側面が前面に出ることの方が多いと言えます。

 私の市の子育て支援の計画でも、保育所の保育の推進や、いわゆる待機児童解消は「仕事と子育ての両立支援」という項目に出てきます。

3.児童福祉としての保育所 

 また、そもそも保育所は「保育を必要とする児童を保育する」施設です。もともとの「保育に欠ける」の文言が、子ども・子育て支援新制度の際に「保育を必要とする」に文言が改められました。

 家庭保育が前提で、それが欠如しているというニュアンスの「保育に欠ける」から「保育を必要とする」に改めたのは、現状の社会認識に合わせたものとみられますが、「保育に欠ける」も「保育を必要とする」も、保育所の役割として変わるところはないと、当時も国から説明がありました。

 そもそも「保育に欠ける児童を保育する」とは何かというと、これは「市町村の保育の保障」を言われたものです。

 この「保育に欠ける」の前には、「市町村は」がついています。我が国では、小・中学校の学齢期の子どもに教育機会が保障されているように、「保育」については、市町村に義務化されているのです。

 

(これを思うにつけ、待機児童問題は喫緊の課題であることがいよいよ知らされます。待機児童については以下の記事もご覧いただければと思います。)

kobe-kosodate.hatenablog.com

 

kobe-kosodate.hatenablog.com

 

4.「保育の保障」面と利便性のどちらも求められる保育所制度

 市町村が必要な子どもの保育を保障するため、保育所は、社会保障としても、福祉としても、それこそ裕福な家庭からそうでない家庭まで、また、幸せ感いっぱいの家庭から愛着形成も進まない養育環境の子どもまで、幅広くその子の保育を保障しています。

 「保育の保障」を市町村に課している以上、これは「保育の義務化」です。学齢期の義務教育のようなものです。

 そのために、保育所の利用にあたって、市町村の義務の範囲なのかどうか、入所する事由を審査し、優先度合いをみて選考します。

 家に居る日は家庭で子どもをみてほしいと園が言ってくるのも、その保育所の設置目的からきます。

 だからこそ、保育所のサービスは、簡単に使える利用者本位の仕組みになっていないと言われることもありますし、実際に、過度な手続きは改善していかなければならない面も否めません。

 よって、冒頭の記事のように、幼稚園と似通った施設になってきているのに、幼稚園が融通が利く一方で、保育所は家庭保育を補完する制度としての位置づけのままで、「公共性の高い保育サービス」になっていないと批判されることになります。

5.制度上は、この国に「幼児教育の保障」は無い

 しかし、私はこの批判は、保育所(制度)に向けるべき刃ではないとみます。

 さまざまな養育環境の家庭がある中で、保育所に「保育の保障」は要りますし、これはかけがえのないものです。

 「保育の保障」を前提として、役所は利用調整をし、障がいのある子どもでも、受け入れ先は無いか、悩み、調整に努力を重ねます。

 現状制度では、(理事長・園長すら自覚されていない園もありますが、)幼稚園から移行した幼保連携型認定こども園も含め、保育所と幼保連携型認定こども園は、児童福祉施設として、保育が真に必要な子どもを、自治体が保護者の申請無しに入所を措置することもあり得る施設なのです。

 ですので、利便性も大事ですが、保育の保障を失うような方向性に舵を切るのは後でとりかえしがつかないことになりかねません。

 ふりかえって、冒頭の記事では「現行の認可保育所の大きな問題点は家庭での保育を原則とし」とありました。一方で、幼稚園に行っている子どももいます。

 この「家庭での保育」と「幼稚園」とをどう読むのが、児童福祉法上妥当な読み方なのでしょうか。

 この記事に沿った言葉遣いをするならば、幼稚園を利用している家庭を含み、家庭での保育に欠ける場合に、保育所が補完する」のが保育所という制度になります。

 ですので、「幼稚園での集団教育や家庭での教育を受けられる子どもはそれでよいけれど、就労などで外出している時間が長くてそれは難しいという家庭は保育所で必ず保育して、養護と教育を一体的に提供します」というのが保育所制度です。

 ということは、幼稚園に行けるような親の就労状況にある子どもは、幼稚園ですべからく幼児教育が受けられているという前提が、保育所制度側にはあるわけです。

 しかし、そうはなっていません。我が国では、いわゆる幼稚園での教育機会については保障されていないのです。

6.「無償」は「義務」ではない

 数年前に幼児教育は無償化されました。しかし、「無償」は義務とは全く異なります。無償であろうが、そもそも3歳からの幼児教育施設が無い自治体だってあるわけで、そうなれば、無償かどうか以前の話です。

 また、無償化であっても、入園や園の選考に要する費用などは園独自に設定されるものであり、親の資力によって選択の幅は狭まります。

 幼稚園に行きたくても、障がいやその他の理由で園の教育方針に合わなければ入園が叶わないこともあり、役所が保育所入所について、さまざまな障がいのある子どもも、まずはなんとか受け入れられないか検討するところから始めるのとは受け入れの前提が異なります。

 しかし、その園について私は批判しているわけではありません。それが幼稚園という制度なのであり、記事にあるように、非認知能力など幼児教育の重要性が高まっているというならば、「養護と教育を一体的に提供する保育」が、保育所に通える一部の子どもに保障されているように、残る子どもたちには、幼児教育が保障されなければならないのではないかと言いたいのです。

 認可保育所の制度は、児童福祉法に基づき、カバーすべき範囲の教育保障をするスキームになっています。逆に、学校を名乗る幼稚園の制度が、カバーすべき範囲の教育保障をしていないのならば、それこそ公共的なサービスとしては課題があると言えるのではないでしょうか。

 

 ここまでお読みいただきありがとうございました。(^^)/