学習における金銭の動機付けについて
令和4年が始まりましたが、年度でみると令和3年度も大詰めです。
各自治体では、令和4年度の予算を決める議会が2~3月にあり、それに向けて、来年度に何を打ち出すか、推進するかの検討がほぼ決まっていたり、あるいは大詰めの段階だと思います。
往時は、何か目玉施策はないかと上司に言われ、目立つ打ち出し策を企画できていないと「なにか玉は無いのか。考えろ」と言われました。
今の私は、無理に目玉施策を作ることは無用で必要な取り組みをやれば良い、ただしスピード感を持ってやるようにと上司に言われています。
以前は新規施策が思いつかないと「これって面白い視点だよね」と耳目を引きそうな思いつきが、ともすればそのまま実施まで進んでしまう危うさもあったように感じますし、今もその点は気をつけないといけないと思います。
前置きが長くなりました。
この話題をしたのは、教育や保育の施策形成において大事な点だと思うからですが、だいぶ以前にこういうことがありました。
何かの子どもへのカード発行だったかを推進するために何をするかが職場で話題になったときに、子どもが本を読んだ冊数分だけポイントを付与したら良いのではないかという意見がでました。
まあ、それは単なる意見出しの場であって本気で検討していったわけではないのですが、私はそれはなんか違うだろうと思い、その当時反対の意見をしましたが、そのとき、どういう理由で「違うだろう」と思ったのか、言語化できませんでした。
しかし、現に例えばアメリカの学校では、学力向上に金銭的インセンティブを設定している例も増えていると聞きます。
今回は、お金(やポイントなど換金できるもの)で学習を奨励することについて見ていきます。
- 1.学習に金銭的報酬をつけると効果はあるのか
- 2.インセンティブ・プログラムの結果
- 3.報酬はその行為を「稼ぐ手段化」し、手抜きにつながる
- 4.「稼ぐ手段化」は、その行為自体の魅力を下げて「やらされ感」につながる
- 5.「やらされ感」ではなく、「自分が選んだ行為化」できるか
- 6.行為を金額に変換することは、その行為の価値を下げる
- 7.まとめ
1.学習に金銭的報酬をつけると効果はあるのか
対象が子どもに限らず大人に対しても何かをさせる動機づけとして、「それをやってくれたら、これをあげるよ」とするのは、広く浸透しています。
人間は欲(食べたい、寝たい、楽したい、儲けたい、目立ちたい、モテたい、カッコよくみられたい などなど)が行動の源泉になるものですので、この欲求を刺激すれば一般に人は動くものだということです。
モチベーションアップのための見返りは、お金やモノが一般的になりますが、表彰するとか、みんなの前で褒められる機会を用意するなどもあります。
なお、うつなどの心理をみていく中で、最も人を動かす、あるいは動かないようにさせるのは「うらみ」だということを読んだことがあり、これは非常に納得するところですが、今回は話がずれますので、また機会があれば取り上げたいと思います。
今回は、考えやすい例として金銭的報酬を学習的な取り組みに取り入れる場合を見ていきます。
大人の世界でも、仕事の出来を給料やボーナスに反映させることでモチベーションを上げる仕組みにしている会社が多く見られます。
子供に対しても、ある程度のお金をかければ、大人が望むような子供の行動変化(成果)につながるのであれば、予算のある国・自治体や、お金のある親とすれば、楽で効果的な取り組みだと目に映るでしょう。
2.インセンティブ・プログラムの結果
では、それがどのような結果となっているかをみていきたいと思います。
子供の貧困と教育政策を専門に多数の執筆・講演活動を行っているポール・タフ氏は、ハーバード大学の経済学者であるローランド・フライヤー氏が、貧困地域のあるアメリカの都市の公立学校生徒を対象とした報奨制度の実験結果を紹介しています。
PTAの会合に出席した保護者、本を読んだ生徒、生徒のテストの点数をあげた教師らに報奨金を支払った。もっと一所懸命に勉強するようにと、子供たちにインセンティブとして携帯電話を与えた。(中略)
しかしながら、このインセンティブ・プログラムには、ほぼすべてのケースでまったく効果がなかった。(中略)
シカゴ、ダラス、ニューヨークの3市では、2007年から2009年までのあいだに総額940万ドルの現金を2万7000人の生徒にインセンティブとして配った。ダラスでは読書に対して、ニューヨークではテストの得点に対して、シカゴでは教科の成績に対して報奨を与えた。またもや効果はなかった。「実験の結果は驚くべきものだった。生徒の成績に関する金銭的なインセンティブの効果は、どの市でも統計的にゼロだった」
(出典元:『私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み、格差に挑む』ポール・タフ 英治出版株式会社)
この結果の評価は、基本的に事実のようですが、次のように解説している例も見られます。
フライヤーは(略)金銭的インセンティブは、スラム地区の学校に通う子供にやる気を起こさせる一助になると信じている。(中略)
こうした現金の支払いはさまざまな結果を生んだ。ニューヨークシティーでは、子供にお金を払ってテストの点数を上げようとしたが、学業成績はまったく向上しなかった。シカゴでは、好成績を収めた生徒に現金を与えたものの、出席率は改善したが共通テストでは何の成果も出なかった。ワシントンDCでは、報酬が一部の生徒(ヒスパニック、少年、行動に問題のある生徒)の読解力スコアの向上に一役買った。現金の効果が最も大きかったのが、ダラスの2年生の場合だ。本を一冊読むたびに2ドルをもらった子供たちは、その年の終わりには、読解力スコアを向上させていたのだ。
(出典元:『それをお金で買いますか 市場主義の限界』マイケル・サンデル ハヤカワ文庫)
では、他の例はどうでしょうか。
ロチェスター大学の心理学者であるエドワード・デジ氏は、カーネギーメロン大学大学院で心理学を研究していた当時、キューブ型のパズルを組み立てることを2つのグループに違った頼み方をしました。
1日目は、どちらのグループにも報酬を支払いませんでした。
2日目・3日目も、一方のグループにはそのまま報酬の話をしませんでしたが、もう一方のグループに対しては、2日目に報酬を支払ったのちに3日目は資金が底をついたと言って報酬は無いと告げました。
するとどうなったか。
3日を通じていちども報酬を受けなかったグループは、だんだんパズルに夢中になった。(中略)日を追うごとに、パズルを完成させるまでの時間を短縮させていった。(中略)学生たちは休憩時間もパズルをつづけ、時間を計ったり観察の対象になったりしていない(と学生たちは思っている)あいだもパズルをうまく完成させようとしていた。
けれども2日めに報酬を受けたのち、3日めには受けなかったグループは、異なる行動を取った。2日めには、予想どおり、学生たちは小遣いを稼ごうとしてより懸命に、より早くパズルを完成させた。けれども3日め、デジがちょっと席を外すと、彼らはパズルに見向きもしなくなった。しかも支払いを受けた日より取り組みに熱意がなくなっただけでなく、1日め(支払いのことなど考えず、本能的にパズルを楽しんでいただけの初日)と比べても意欲が下がっていた。いい換えれば、わくわくするパズル遊びが報酬の導入によって「仕事」になってしまったのだ。仕事となれば、支払いを受けられないのにやりたがる人はいない。
(出典元:『私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み、格差に挑む』ポール・タフ 英治出版株式会社)
3.報酬はその行為を「稼ぐ手段化」し、手抜きにつながる
これらをどう読めばよいのでしょうか。
「仕事」という言葉には、能動的なものも受動的なものもありますが、ここでは、「生活の糧を得るためにやらざるを得ない」という意味合いで「仕事」の言葉を使っていると読めます。
金銭的なごほうびをつけると、その行為が「稼ぐ手段化」していることが見えてきます。
そうなると、自分の学生アルバイト時代を思い出すようで、いささか苦しいですが、報酬があるときだけ頑張るという姿勢になったり、手抜きしながらノルマだけ達成しようとしたり、いわゆる手抜きにつながっているようです。
それに加え「稼ぐ手段化」は、その行為をやることよりも、その後の報酬が目的になりますので、その行為(今回ならパズル)自体の魅力(面白さを理解する力)を下げていることも分かります。
そして、魅力が下がる(面白味が分からない)と、やらされている感覚が強くなります。
4.「稼ぐ手段化」は、その行為自体の魅力を下げて「やらされ感」につながる
ここで思い出すのは、マーク・トウェインの『トム・ソーヤーの冒険』です。
トムがいたずらをした罰として、大きな壁のペンキ塗りをするように言いつけられます。嫌々やりながら友達に手伝いを頼んでも、誰も見向きもしないわけです。
そこでトムは閃いて、とても楽しそうに壁塗りをはじめるのです。それが友達にはとても面白しそうに見えて、自分もやらせてくれないか、このリンゴをあげるからと友達が言ってくるようになります。最後はトムが「しょうがないなー、じゃあ、やらせてあげるよ」と言って、友達からたくさんのプレゼントをもらいながら、壁塗りまでさせることに成功するという話です。
いろいろな教訓が得られる話ではありますが、今回の話に関連して振り返ると、物事に取り組むときは、「やらされている」気持ちで物事を受けとめる場合と、「自分からやりたい」気持ちで物事を受けとめる場合とがあることが分かります。
5.「やらされ感」ではなく、「自分が選んだ行為化」できるか
先ほどに続き、ポール・タフ氏は、前述のエドワード・デジ氏と、同様にロチェスター大学の心理学者であるリチャード・ライアンの2人の論文を紹介している中で、次のように書かれています。
さらに2人は、人が求める3つの鍵を見きわめたー「有能感」「自律性」「関係性(人とのつながり)」である。そしてこの3つが満たされるときにかぎり、人は内発的動機づけを維持できると述べた。
デジとライアンは数十年をかけて複数の実験をおこない、外的な報酬(フライヤーの研究で中心となった物質的なインセンティブ)は、長期にわたるプロジェクトへの動機づけとしては効果がなく、多くの場合、むしろ逆効果でさえあることを示した。
(出典元:『私たちは子どもに何ができるのか 非認知能力を育み、格差に挑む』ポール・タフ 英治出版株式会社)
この言及後、ここに出てくる「自律性」を子どもたちが実感してモチベーションにつながるのは、管理や強制されていると感じずに自分でこの行為を選択していると実感している状態だと書かれています。
とはいえ、現実問題として、社会のだいたいのことは、完全な自発的な行為は少なく、他者から「やったほうがいいよ」「やりなさい」と言われたり、情報が耳から入ったりして行動に移すものかもしれません。
それを「そうだね。それを聞いて私もやった方がいいと思うからやってみるよ」と、心の中で、「それは結果的に自分が選んだ道だ」と消化・転換できる力もとても大事だと思えます。
そう考えていくと、単にインセンティブは学習には効果が薄いというのではなく、自分で選んだ行為を頑張りぬくときに、さらなる努力に向けてご褒美を設定するのは、効果が有るケースも多々あるのではないかとも思えます。
6.行為を金額に変換することは、その行為の価値を下げる
最後に、成果につながるか否か以外の、別の観点でも見てみます。
NHK「ハーバード白熱教室」で日本でも著名なハーバード大学教授のマイケル・サンデル氏は、あらゆるものが売買される時代になってきている現在、そもそもお金で買えないような価値あるモノや行為に値段が付けられていくことは、そのモノや行為のかけがえのなさ・大切さを貶めるものであると警鐘し、お金では買えない道徳的・市民的善を問いかけ、次のように述べています。
子供が本を読むたびにお金を払えば、子供はもっと本を読むかもしれない。だがこれでは、読書は心からの満足を味わわせてくれるものではなく、面倒な仕事だと思えと教えていることになる。
(中略)
私は、環境や、育児や、教育への高潔な姿勢を促すことが、それと対立する考え方につねに優先すべきだと主張しているわけではない。(略)
学業成績の振るわない子どもにお金を払って本を読ませることが、読解力の劇的な向上につながるとすれば、試してみようと思うだろうー勉学の楽しみを教えるのは後でも大丈夫だと願いつつ。だが大切なのは、賄賂を贈っているのを忘れないことだ。それは道徳的に妥協した行為であり、より低級な規範(お金をもらうための読書)をより高級な規範(読書欲による読書)の代わりとするものなのである。
(中略)
子供が読書を報酬目当ての仕事とみなすようになり、自分のための読書の喜びが損なわれてしまうかどうかを、われわれは気にすべきだろうか。答えは場合によって異なる。だが、この問題に答えようとすれば、金銭的インセンティブの効果を予測するだけではすまない。道徳的な評価を下す必要があるのだ。
(出典元:『それをお金で買いますか 市場主義の限界』マイケル・サンデル ハヤカワ文庫)
7.まとめ
「お金で買えない価値がある、買えるものはマスターカードで」というキャッチコピーがテレビによく流れていましたが、お金で買えない価値をお金に換算できるようにした時点で、それがお金を得るための道具と成り下がっていくことが見えてきます。
一方で、勉学の業績を武器として、なんとか生きる道を切り拓いていこうとしている人にとっては、勉学はまさに生きる術(手段)であり、学ぶことそのものにかけがえのない価値があるのだと言われても、むしろ空虚に聞こえるかもしれません。
ただ、教育が発達保障の営みと言うならば、子どもに学力が育まれるというのは、子どもの成長・発達の一側面と言えます。子どもの成長は、お金で即席で出来ないものであり、また、長い目で子どもの幸せ感を考えたとき、お金で即席で得ようとしてはいけないものなのではないかと考えさせられます。
ここまでお読みいただきありがとうございました。(^^)/