独りよがりな教育施策をしないために
今回は、自治体が教育施策を考えるときに気に留めたい点を振り返りたいと思います。
何回かに分けて取り上げたいと考えていますが、まずは「教育」に対するさまざまな受け止めを例に挙げてみます。
1.将来不安と、投資としての教育?
「学ぶ」といえばそれは就職するまでの話で、それ以降は子どもが宿題をしたり塾に行ったりしている横で、お父さんは床に転がって野球中継をみたり、休みも接待ゴルフに出かけていったり。
そのような姿が、一昔前の典型的な“学びを卒業した大人”のイメージと言えば言い過ぎでしょうか。
もちろんそんな大人だって、今以上に仕事を家に持ち帰ったり、「24時間働けますか」の当時のCMのとおり仕事に打ち込んだり、接待も大事な対外折衝の場だったり、学校を卒業したあと学びをやめているわけでは決して無いのですが、今よりは世間一般の雇用が比較的安定していたという先入観が、そんなイメージを抱かせるのかもしれません。
しかし、最近は、学校卒業で学習が完了するイメージは確実に薄れていると感じます。
一般に、大人が学校卒業後も学習を重ねていくことは、生涯学習を通して自己実現をしようとするワクワクした人生の営みだと思います。
一方で、社会の先行き不安感もあって、就職後にもスキル習得に向けて講座を受けたり独学したり、また職場から資格をとるよう言われたり、自分が英語に苦労した学生時代の経験から、子どもに英語を早期教育させなければと思ったりと、何かに急き立てられるように勉強せざるを得ない雰囲気もあるように感じます。
そういう時の親の持つ「教育」のイメージは、将来に向けての「投資」といったところでしょうか。
しかし、これまでの「学歴社会」から「個性の社会」となっていくと言われる中、実際にどう投資していけばよいのか、情報が氾濫している一方で本当に大切なことが見えないいま、親や周囲も戸惑っている状況なのかもしれません。
2.教養は人生の裾野
「なぜ勉強するのか」「なぜ学校に行くのか」という本がベストセラーになるのも、子どもだけでなく、いや、むしろ親のほうがその意味をはっきりとわからないあらわれではないでしょうか。
「なぜ勉強するのか」について、例えば、おおたとしまさ氏が編集した『続 子供はなぜ勉強しなくちゃいけないの?』に寄せた一人、ロザンの宇治原氏は次のように言われています。
富士山がほかの山よりも高いのは、裾野が広いからです。それと同じで、人間も子どものころにいろいろなものを学ぶと、裾野が広がります。裾野が広いと、将来富士山のようなかっこいい大人になれます。(中略)
今すぐ役に立つものは、たいていすぐに役に立たなくなります。今すぐにはなんの役にも立たないものほど、あとで「芸の肥やし」になることがあります。
(出典元:『続 子供はなぜ勉強しなくちゃいけないの?』日経BP社)
3.教育=貯金や保険?
一方、実業家の堀江貴文氏は、将来のためにいまは我慢を強いるような勉強のさせ方、考え方に対して、それは、その人の生き方そのものをおかしくしてしまっているのだと言い切っています。
たとえば受験、就職、キャリアアップ。あるいは結婚、出産、子育て。さらには定年退職、老後。学業だけではない。多種多様な「いざという時」に備えて今は我慢しなさい、というのが大人たちの理屈だ。これは、「貯金」や「保険」とまったく同じ考え方だ。(略)
今の欲望を我慢して、ありもしないリスクに備えて貯金させられる。(略)
問題は、この「貯金」的な学び方、我慢の仕方が、学校を卒業してもずっと人を縛るものだということだ。
(出典元:「すべての教育は『洗脳』である 21世紀の脱・学校論」光文社新書)
今の学校教育も含めた学び方や思考は、投資になっておらず、かつ、日本人を不幸にしている元凶なのだと言われています。
4.まとめ
他にも、「教育とは?学校とは?」となると、みな、一通りの学校生活や教育を受けた経験に基づいて一家言あり、いろいろな意見が噴出します。
それは、行政の取り組みに対して意見を言う側だけではありません。
制度を作る側もそこに自分の子育て観や教育観の色メガネがはたらくことをまずは自覚しなければと思っています。
もちろん行政の立場としては、住民の代表である首長(市長、町長など)や議会の考え・方針が大前提なのは言うまでもありません。
だから、行政職員は、自己を空しくして(空っぽにして)指示を受けとめることが大事だと教えられることもあります。
一方で、方針を正しく理解して実現させるためにも、また、自分の役割の範囲でしっかり施策を練り上げるためにも、考える時の深みがないと、検討・調整に苦労した挙げ句、「あれっ、そんなこと誰も望んでなかったんじゃないか…」みたいな結果が現出されないとも限りません。
ここまでお読みいただきありがとうございました(*^^*)